逆に。

相変わらずの更新出遅れ。

写真は相変わらず撮り続けているにも関わらず、年々更新頻度が遅くなってゆく。
気づけば、アノ人やあの人も更新頻度が遅くなっている。

そして、気づけば僕も去年までブラウザにあるお気に入りサイトを毎日ほぼ欠かさず順繰りで見ていた「自分サイクル」がいつの間にか、数日に一度目を通す程度になっている。飽きているわけではない。意識としては。

これは、本当に「気づけば」で、あった。

1年前と自分の環境の何が違うのであろうか。
まず、おそらくこの「自分サイクル」を崩壊させた原因は、「Flickr」「Instagram」という二つのサービスが大きく関わっている気がしてならない。

Flickrはそれこそ自分の更新はほとんどしていないものの、1年前に比べると色んな人の写真を閲覧して、それが繋がってどんどんサーフィンしていくという見方が自分の中で随分増えた気がする。

また、Instagramという手軽になおかつ、「ええ感じ」にアナログチックな写真を撮れて、さらに共有まで出来て、さらにはLikeなんか付けてもらって、刹那的快楽を味わえるアプリが自分の生活の一部に入ってきてしまったものだから、余計に「写真を人に公開する」ことに対する自分の根幹がゆらいでしまったのは紛れもない事実であり、それにしても冬の夜はのどが渇く。

また、他の要因としては、「フィルムカメラ」との出会い、いや再会といっておくべきか、も、この1年の間に起きた出来事であり、それが更新頻度の遅れに少なからず影響しているのもあるのかもしれない。
というのも、自分の中でのこの「逆に。」というサイト自体が、写真を写真たらしめない写真であることを前提にしていた部分が無意識と自意識の狭間であったことは確かで、そのために好き放題枚数をとれる一眼レフのデジタルカメラは必須条件であった。

それが、外部環境の影響でフィルムカメラに熱をあげてしまった挙句、さらにはそんなフィルムカメラの写真の美しさと自分のセンスが乖離していることは購入前からはっきりと自覚していたのにも関わらず、やはり手を出してしまったことで、余計に「写真を人に公開する」および「逆に。」というサイト更新の行為、また思想そのものに、ある種の歯止めを効かせてしまったのであろう。

さらに、これはどうしても付け加えておかねばならないこととして、昨年の暮れに娘が誕生したこともあり、例にもれず昨年から撮影したおよそ8割の写真が娘を撮影した写真で、さらにそれが独自の視点を盛り込んだユニークさを湛えたようなものであればまだしも、ただただ感情に任せ、「愛娘」という言葉に踏んづけられた写真がその大半を占めているのであって、どうもそれを「公開写真」として公開、いや晒してしまうことは、ある意味自分にとって、公開しないよりも屈辱的な行為であるのかもしれず、娘がそろそろ寝たので僕も寝よう。

つまり、色々今世の中には好奇心を満たすものがいっぱいありすぎて自分自身満たされまくっているのと同時に、反対側では蛇口をひねったように、これまでの満たされていたものが少しづつ流れだし全く満たされていない状態が長く続いているということなので、それらを理解した上で、


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